家で親を看取る

NHKスペシャルを見た。

親を看取るということについて…

自分は、もう両親共に亡くなってしまったので、今更こんなこととも思うのだが。

この番組を見ていて、常に考えている事について再び考えてみた。

 

母親は、以前はてなの日記で書いていた頃、突然(実際には突然ではないが)発覚した末期のがんにより発覚してから数週間というスピードでこの世を去った。

この時は、後悔というより何もしてあげられなかった気持ちでいっぱいだった。

でも、自分の悩みはこの事ではない。

正直な話、母親が亡くなった時の喪失感はすごかった。

やはりこの人から生まれてきたという気持ちは一生消えないのだと実感した瞬間でもあった。

 

しかし、そこから実は父親に対する苦悩が待っていた。

 

父親は、もうその時すでに脳梗塞を起こしたあとで、実はもう何年も前に医師から「長くてもあと3年でしょう。」と余命宣告まで受けていた。

今でもあの時母親が初めて「お父さんが死んじゃうんだって。どうしよう。」と真剣に落ち込んでいる姿を見ていた。

しかし、それから約15年父親は生きた。

これは、余命宣告がいい加減だったということではなく、きっと彼のがんばりなのだろう。

そして、絶対後からなくなるって思っていた母親が結果的には先に亡くなるという事態が起きてしまった。

 

母親は、比較的健康なほうで病気という病気はほとんどかかったことがないくらいだっただけに、自分も完全に安心していたところもある。

 

しかし、ちょっと調子悪いからと言って病院に出かけて行って、母親はもう自分の家に生きて帰ってくることはできなかった。

 

父親も正直びっくりする事態だった。

偶然、デイサービスにかよっていた日の出来事で、急遽ショートステイが始まった。

 

そう、あの日から父親もある意味家に帰ることが難しかった。

 

母親が亡くなって、しばらく家で一人暮らしをしてヘルパーをうまく使いながら生活していたが、やはり脳梗塞の後遺症でもある脳血管性認知症がひどく、自分も仕事の前と帰りに寄るようにしていたが、約1ヶ月したところで難しくなってしまい、やむなく再びデイサービスを利用していた施設にお世話になることになる。

そして、ケアホームを体験するがそこには馴染めず、最終的には世話になっていた老健で最後まで過ごすことになった。

 

特養に空きがなかった事も、ある意味幸いだったが、慣れた場所での生活。

最初は、それでいいと思っていたが、1年、2年と月日が流れると自分の中でも葛藤が起き始めていた。

自分は、偶然にも妻の家で住んでいたいわゆるマスオさんという状態で、母親が亡くなる直前に、実はその敷地内に自分の住居を建てる契約をしたばかりだった。

 

本来であれば、母親がなくなって父親だけになれば実家に戻って同居という選択もあったと思う。しかし、それはお互いに望まなかった。

自分にはすでに子どもがいて、この地域に馴染んでいた事も同居することができなかった理由の一つだ。

あと、自分は実家の近くで働いているので、何かあってもすぐに寄れるという安易な考えもあった。

 

しかし、結果的にはみきれず、老健にお願いすることになってしまった。

 

老健は、さらに実家より職場に近かったので安心できたし、急な呼び出しにも対応できた。

でも、老健で生活した父親の5年間は本当に本人の望む5年だったのだろうか?

今でも、それは違うと思いながらも結論は出ない。

 

だからって、自宅で生活もさせられなかった。

父親と話をして、老健に行くことに承諾してくれた父。

そして、最後まで文句を言わずに過ごしてくれた5年間。

 

でも、本当にそれでよかったのか?

きっと、一生悩むことだろう。

 

そして、自分が同じ立場になったとき、きっと自分は父親と同じ行動をするだろう。

 

 

自分が歳をとった時、この日本がどうなっているのかは想像がつかない。

でも、娘たちに同じ思いをさせたくないという気持ちをなんとか実現したいと、少なくとも今は思っている。

 

それが、きっと父親に自分がした行動の償いになるのだと信じている。

自分勝手だけど。