命が終わる時。
先日、ここに書いた方ではなく…。
今日、連絡もらったのは一緒に働いているスタッフの子どもが亡くなったという連絡だった。
彼(スタッフ)とは、それでも週に1回ぐらいの割合でメールではあるけど連絡をとりあっていた。
ここ数日、彼からの連絡がなかなか帰ってこない事が何回かあった。
あんまり調子は良くないという内容に、早く会いに行きたいとなんか勝手だけど伯父さんになった気分で見守っていた。
しかし…。
今日の未明、子どもは息を引き取りました。
その子は、18トリソミーという染色体の異常のために未成熟のまま子の世に生まれてくることになった。
きっと、生まれてくる前に障がいがあるということがわかった彼らは自分たちが思う以上に、いや理解を超えた苦しみだっただろう。
そんな中、二人は子どもを産み結果的に病院から一度も外に出ることはなかったが、しっかり親としての責任を果たしたと思う。
そして、生まれてきた子どもも子どもとしての責任を十分ではないが、数ヶ月の間だけだが果たしたに違いない。
そう自分は思うことにした。
自分も子を持つ親として…もし、自分の子が亡くなったら…そんなことは考えたくないが、もしそうなったとしたらどうなってしまうだろう。
昔、親からずっと言われ続けてきた言葉。
「俺たちが生きているうちは、警察と坊主の世話にだけはなるな」
これは、昔から言われている「子が親より先になくなると親不孝」というところから来ている言葉だと思っている。
そして、この言葉を自分は少なくとも遂行することができた。
親になり今思うことはまったく一緒だ。
それだけ、子どもが亡くなるということは辛く…悲しいことなのだと。
そんなことを思いながら、また有明に来ている。
今年は、「死」という言葉に去年以上に真剣に向き合う必要があるようだ。