やっと書ける気分。

6月2日…昔から関わっていた彼(利用者)が亡くなった。

 

23歳というまだまだ人生の四半世紀すら超えていない短い人生だった。

 

原因は「癌」

 

そして、亡くなる最後の1ヶ月…自分は彼とそれなりに係わることができたが、その分、色々な思いをすることになってしまった。

 

その中で思ったことは、子どもの思考・命は親が決めるということ。

決してそれが悪いわけではない。でも、周りからみたらもしかしたら?って思うことが続いたぐらい、今回自分の中では納得できないことばかりだった。

でも、最終的に決定するのは本人でありその裏にいる家族だった。

 

宗教を批判するつもりはまったくない。

ましてや、怪しい新興宗教ではなく昔からある宗教であるならなおさらのことだ。

でも、これは自分のひとりよがりなのかもしれないが、子どものの命が関わっている所で、宗教上の理由から治療を拒否するということが当然なのだろうか?

 

自分は、典型的な日本人であるがゆえに、クリスマスはパーティをし、お正月は神社にお参りに行き、法事はお寺で行うというのが当たり前になっている。

でも、信仰を絶やさない方はその宗教で問題があるならば行わないというのが当たり前だと思う。

 

それは日常生活上さほど影響がないことであって、命が係わることではないからそれはそれでいいんじゃないかと思う。

でも、命が係わるならばそれはもし自分がどんな宗教を崇拝していたとしても別の事ではないのだろうか?

もしそれにより、子どもが元気な姿で1年、2年であっても長く生きられるのであれば、おそらく自分は自分の信仰心を捨ててでも子どもの命を守るであろうと信じて疑わない。

 

 

今回、内容を詳しく書くと露骨に批判してしまうことになるので書かないが、『親』という存在であって、そこはどうだったのだろう?という疑問が彼がなくなってから考える結果になってしまった。

そして、その信仰が家族全員であればいいが、一部の家族のみの信仰であったことが、その後のイザコザに拍車がかかってしまった。

葬儀の問題や、お墓の問題…。

おそらく、一生この問題はついて回るのだろう。

 

でも、周りはそんなことはどうでもよくて、早くみんなが会いにいける場所を作って欲しいそれだけだ。

 

今は、とにかく苦しさから解放されて、安らかに自分たちを見守ってくれることを祈っている。