やっと一段落。
ここしばらく、ずっとドタバタというかなんというのか…。
その中で、久しぶりに一息つける時間ができました。
新しい法人の立ちあげ、原稿の締め切り、システムの締め切りなどなど…。
そんな中、今日やっとシステムを1つ完成させました。
と、言ってもまだまだ完成とまで言えるものではないですけど、必要な機能は動くようになりました。
半年ちょっと、久しぶりにMS-ACCESSを使ったんだけど、昔に比べたら使いやすくなったなぁって。
おかげで、新しい機能も試せたけど、やっぱりたのしいね。プログラムを組むっていうのは。もっと、時間があれば作りたいシステムは沢山あるんだけど。
もう、かれこれ10年ぐらいまっというにプログラムを組んでなかったから、思い出しながらやってました。
言語はVBA。そんなに難しくない言語なのに、やっぱり忘れてますね。
なんとなく思い出しながらネットで調べながら。
そして、思い出した頃に一段落した感じです(笑)
今回は、社内のシステムだったらいいんだけど、実は外注のシステム。
ほんとうは締め切りがあって、3月に納品だったのが、こんなになってしまった。
とりあえず、これで第一回の納品ができそうなので、一段落です。
そして、これが一段落したので、次に行けますよ。
これやらないうちに、他のことはやっぱりできませんもんね。
尖閣諸島の問題って
詳しいことはわからないので、間違った情報も沢山だと思うんだけど、率直に自分の思っていることをメモ程度に書いてみようと思う。
なので、ココに書くことはあくまでも個人の見解なので、これで炎上されても困るのです。
そのあたりは、理解をお願いします。
今回のオリンピックで男子サッカーの終了後に掲げたメッセージが、ある意味火付け役となって浮上している、尖閣諸島 竹島問題。
そもそも、これは日本と中国が竹島などを含む島々の取り合いが問題になっている。
これは根強い問題なので、一国民が何を言っても変わるものでもないのだろうな。
正直、気持ちとしては
「取り合わなくてはいけないのか?」というところだったりする。
過去、確かに色々な問題もあった島々だと思う。
でも、それを考えてもどっちかにしなければいけないのだろうか?
そもそも、この島を所有するとどうなるのだろう?
一番、大きく目に見える問題は、排他的経済水域が大幅に日本にしてみれば小さくなる。これは、中国も同じ問題で、どちらかと言えば中国のほうが必死なのかもしれない。
日本は島国なので、周りを海で囲まれている。
それに対して中国は、簡単にいうと日本海に面しているという状況のみ。さらに、竹島などを日本にとられると排他的経済水域が小さくなり、現在漁業を営んでいる人たちに取ってはかなりの痛手になってしまう可能性が高い。
他にも色々な問題はあると思うが、ニュースなどをみている限りではなんともわからない感じで…。
確かに島をどちらが所有するかは、どちらの国にしてみても問題はあるようだ。
たとえそこが、人が住むことができない場所だとしたら、そこはハッキリさせたほうがいいかもしれないけど、人が住んでいないのなら共同名義などにできないものだろうか?
色々、国の事や海事情などを知らないから言える事なのかもしれないが、これが原因で戦争なんて話になるのも馬鹿馬鹿しいし…
轟天号をおいかけて
「究極超人あ~る」という漫画をご存知だろうか?
パトレイバーや今は鉄腕バーディーという漫画を描いている昔からの漫画家「ゆうきまさみ」さんの名作だったりします。
ちょうど自分が中学ぐらいのころにこの「究極超人あ~る」は連載されていて、その後OVA(オリジナルビデオアニメ)にもなった。
そのマンガの中でもしばしば長野県の飯島町にある「田切」という駅近辺にあると設定されている「山田さん温泉」が出てきており、このマンガのファンなどにとってこの地域は聖地とも言われている(らしい)
自分は、そこまでコアなファンではないので、ただ好きってだけだったりもするのだけど、この度 伊那市駅が誕生100周年という区切りのある年に伊那市観光協会の有志がこの漫画のOVAでクライマックスのシーンを再現してみよう。というとっても緩いイベントが開催された。
OVAでは、主人公の「R・田中一郎」くんの所属している光画部(写真部的なところ)を敵対視している西園寺という女の子(大富豪)が、光画部を陥れようと計画したスタンプラリーがこの地域を走っている飯田線を舞台に繰り広げられる。
そして、最後飯田線がゴールの時間までにつく電車がなくなったとき、Rくんの所有している自転車に10人乗って、田切から伊那市駅横の西園寺ツーリストを残り1時間以内に走りたどり着くというシナリオに沿って、このたび自転車レースが開催された。
今回もルートは田切駅スタートして伊那市駅までおよそ20km。
今回の参加者は、翌日の新聞で知ったのですが80名。
これが、グループに分かれて時間差スタートして、ルートは自由だけど1時間後にゴールをするという、なんとも緩いイベント。
今回、40という年齢にもなりある意味 節目として、参加してみました。
イベント参加者は、アニメ好きからサイクリング好きまで…80名ったら結構な参加者層でしたよ。
でも、とても楽しいイベントで途中自分が参加した自転車は折り畳みの自転車だったので、心配でしたが何人もいてちょっと安心。
時間通りにスタートして、自分は10分早めの16:50にスタートして18:00伊那市駅を目指します。
最初、下調べしておいた道を行く予定だったんですが…。
なんとなく集団に飲み込まれてしまい結局無難なルートで…。
それでも、1時間では田切〜伊那市駅はかなりキツイ。
でも、なんとか完走してきました。
いや〜でも気持ちが良いツーリングでした。
競争ではないので、みんなで声をかけながらゴールを目指すなんて面白いことも。
最後はバンザイして終わりましたが、駅や道場と田の人が最後までバンザイだったようです。
帰りに、どうしてもこっちに来たら立ち寄りたいお蕎麦屋でソースカツ丼を食べ。
温泉に入り帰って来ました。
ママチャリ耐久も楽しいけど、こんなゆる〜い感じのレースも時々いいですね。
次がいつなのか、ちょっと楽しみにしています。
やっと書ける気分。
6月2日…昔から関わっていた彼(利用者)が亡くなった。
23歳というまだまだ人生の四半世紀すら超えていない短い人生だった。
原因は「癌」
そして、亡くなる最後の1ヶ月…自分は彼とそれなりに係わることができたが、その分、色々な思いをすることになってしまった。
その中で思ったことは、子どもの思考・命は親が決めるということ。
決してそれが悪いわけではない。でも、周りからみたらもしかしたら?って思うことが続いたぐらい、今回自分の中では納得できないことばかりだった。
でも、最終的に決定するのは本人でありその裏にいる家族だった。
宗教を批判するつもりはまったくない。
ましてや、怪しい新興宗教ではなく昔からある宗教であるならなおさらのことだ。
でも、これは自分のひとりよがりなのかもしれないが、子どものの命が関わっている所で、宗教上の理由から治療を拒否するということが当然なのだろうか?
自分は、典型的な日本人であるがゆえに、クリスマスはパーティをし、お正月は神社にお参りに行き、法事はお寺で行うというのが当たり前になっている。
でも、信仰を絶やさない方はその宗教で問題があるならば行わないというのが当たり前だと思う。
それは日常生活上さほど影響がないことであって、命が係わることではないからそれはそれでいいんじゃないかと思う。
でも、命が係わるならばそれはもし自分がどんな宗教を崇拝していたとしても別の事ではないのだろうか?
もしそれにより、子どもが元気な姿で1年、2年であっても長く生きられるのであれば、おそらく自分は自分の信仰心を捨ててでも子どもの命を守るであろうと信じて疑わない。
今回、内容を詳しく書くと露骨に批判してしまうことになるので書かないが、『親』という存在であって、そこはどうだったのだろう?という疑問が彼がなくなってから考える結果になってしまった。
そして、その信仰が家族全員であればいいが、一部の家族のみの信仰であったことが、その後のイザコザに拍車がかかってしまった。
葬儀の問題や、お墓の問題…。
おそらく、一生この問題はついて回るのだろう。
でも、周りはそんなことはどうでもよくて、早くみんなが会いにいける場所を作って欲しいそれだけだ。
今は、とにかく苦しさから解放されて、安らかに自分たちを見守ってくれることを祈っている。
再び…
今朝、知り合いから1通のメールが来た。
「新聞のお悔やみ欄に出ている名前、元スタッフのお母さんの名前だよね?」
そっか…。
前に電話をしたときに、お母さんがすでにターミナルケアでしかもかなり危ないという話を聞いていた。
だからなのか。。。それとも最近の状況が影響しているのか受け入れるのは早かった。
すぐに一斉送信をしてスタッフの中でも知っているスタッフには明日の葬儀に一般参列するように伝える。
このお母さんも癌だった。
数年前からその話は聞いていた。
なんで癌て起きるんだろう?
今日はこれから、昨日訪問してきたスタッフの娘の葬儀に参列してくる。
できれば、こんな想いはもうしたくないのだが…。
命が終わる時。
先日、ここに書いた方ではなく…。
今日、連絡もらったのは一緒に働いているスタッフの子どもが亡くなったという連絡だった。
彼(スタッフ)とは、それでも週に1回ぐらいの割合でメールではあるけど連絡をとりあっていた。
ここ数日、彼からの連絡がなかなか帰ってこない事が何回かあった。
あんまり調子は良くないという内容に、早く会いに行きたいとなんか勝手だけど伯父さんになった気分で見守っていた。
しかし…。
今日の未明、子どもは息を引き取りました。
その子は、18トリソミーという染色体の異常のために未成熟のまま子の世に生まれてくることになった。
きっと、生まれてくる前に障がいがあるということがわかった彼らは自分たちが思う以上に、いや理解を超えた苦しみだっただろう。
そんな中、二人は子どもを産み結果的に病院から一度も外に出ることはなかったが、しっかり親としての責任を果たしたと思う。
そして、生まれてきた子どもも子どもとしての責任を十分ではないが、数ヶ月の間だけだが果たしたに違いない。
そう自分は思うことにした。
自分も子を持つ親として…もし、自分の子が亡くなったら…そんなことは考えたくないが、もしそうなったとしたらどうなってしまうだろう。
昔、親からずっと言われ続けてきた言葉。
「俺たちが生きているうちは、警察と坊主の世話にだけはなるな」
これは、昔から言われている「子が親より先になくなると親不孝」というところから来ている言葉だと思っている。
そして、この言葉を自分は少なくとも遂行することができた。
親になり今思うことはまったく一緒だ。
それだけ、子どもが亡くなるということは辛く…悲しいことなのだと。
そんなことを思いながら、また有明に来ている。
今年は、「死」という言葉に去年以上に真剣に向き合う必要があるようだ。
やりきれない。
人間って…結局、何もできないのかなぁ。
今日、ある利用者のお母さんから連絡があって、彼の命がもう長くないことをしった。
彼はまだ20歳になって間もない。
小さい頃に交通事故で脳の損傷が影響して、麻痺と軽度の知的障害を併発しているいわゆる重複障害だ。
そのこと自体、彼は気にしているのかあまりそのことについて泣き言を言うことはなかった。
ある時、健側の足のふくらはぎに「癌」があることが発覚。
東京の癌研に入院して手術&放射線治療を受けることに。
結果は「成功」
あとは、再発していないかどうかを検査するために定期的に地域の病院に行くだけになっていた。
正直、みんな安心していた。
心のどこかに『再発はしない』と信じ切っていた部分がったと思う。
手術は「成功」したのだから。
彼は、作業所に通いながら車の免許を取るために勉強をがんばっていた。
結果的に、卒業検定を無事クリアしてあとは試験場での筆記試験に合格すれば念願の免許が取得できるはずだった。
でも、なかなか100問の問題は難しく…点数は上がっているものの後少しのところだった。
そんな話を聞いた直後のことだった。
お母さんから電話があって「背中が痛くてちゃんと歩けないらしいから、地域の病院に行くんだけど、東京の癌研に連れていってもらえないだろうか?」と予約。
場所を知っているのは自分だけ、その日の夜は夜勤だったけど調整して朝から病院に向かう予定だった。
今日…どうしてもイタイということで再び病院に。
検査の結果は、最悪だった。
「骨に転移していて、ステージ4なんだって…もう、どうにもならないんだそうです。」
いつも明るいお母さんの声が暗かった。
自分もどうすることもできなかった。
何も声をかけてあげる事ができなかった。
息子があと少しの命…
胸が苦しくなってきた。
自分たちは、残りの時間に出来るだけ彼に会いに行くしかない…。
それしかできない。
もう、彼と泊りの時に「心霊スポット巡り」もできなくなってしまった。
まだ、自分の中では受け入れることができない。